「使うな」から、「雑に使うな」へ

Pマークの担当をしていたことがある。個人情報の取り扱いを審査する、あの認証制度だ。台帳を整え、目的を書き出し、鍵のかかる棚を数え、年に一度の監査に備える。地味の極みのような仕事だったが、あそこで叩き込まれた習慣がひとつある。個人情報を前にしたら、まず「何のために使うのか」を言葉にする。言えなければ、触らない。当時は、面倒な作法だと思っていた。いまは、あれが本体だったと思っている。

その個人情報のルールが、この夏、大きく動いた。改正個人情報保護法が7月10日に成立し、17日に公布された。施行はこれからで、公布から2年以内に段階を踏んで始まる。一部の罰則は公布から半年で先に動く。つまり、まだルールが変わったのではない。変わることが、決まったのだ。2年は、長いようで短い。社内のAI利用を棚卸しして直すには、足りるかどうかの時間だ。そして今回の改正は、AIと仕事をする人間にとって、方向がはっきりしている。緩める場所と、締める場所が、同時に来た。

目次

緩んだのは「AIに使うこと」そのもの

目玉のひとつは、AI開発や統計作成のために個人情報を使う場合の、本人同意の特例だ。個人が特定されない形での統計的な処理や、本人の権利利益を害さないことが明らかな利用については、これまでの「本人の同意が原則」という縛りが緩められる。生成AIの学習に使うデータが集まらない、という国内の事情を踏まえた判断だと言われている。

Pマークの現場感覚からすると、これは大きな転換だ。これまで、個人情報とAIの話は、実務では「とにかく入れるな」に集約されがちだった。顧客の情報をAIに入れていいのか分からないから、全部禁止。分からないから、全部避ける。安全ではあるが、思考停止でもある。今回の改正は、その「分からないから全部禁止」の時代に、条件付きの出口を作った。特定されない形にする、権利を害さないことが明らかである——条件を満たせば、使ってよい。使うこと自体は、もう後ろめたい行為ではない。

締まったのは「雑に扱うこと」の値段

同じ改正が、反対側で罰を重くした。1,000人を超える規模の個人データを違法に取得したり利用したりした事業者には、課徴金——金銭的な制裁が新設される。これまでの個人情報保護法は、違反しても行政指導や命令が中心で、直接財布が痛む仕組みは弱かった。そこに値札がついた。さらに、顔認証や指紋のような身体そのものの情報——特定生体個人情報には、新しい規律が設けられる。パスワードと違って、顔や指紋は漏れても取り替えがきかないからだ。漏れたパスワードは今日変えられるが、漏れた顔は一生そのままだ。取り返しのつかない情報ほど扱いの規律が重くなるのは、理屈として真っ当だと思う。監視する側の個人情報保護委員会の権限も強くなる。

緩和と強化がひとつの改正に同居しているのは、矛盾ではない。メッセージはひとつだ。使うことは責めない。雑に使うことを責める。「使うな」の時代が終わり、「雑に使うな」の時代が始まる。禁止で守る仕組みから、使い方の質で守る仕組みへ。ルールの重心が、行為の有無から、行為の丁寧さへ移った。

「何のために」を言えるかが、分かれ目になる

この転換は、現場の一人ひとりに小さくない宿題を出す。禁止の時代は、考えなくてよかった。全部だめなら、判断は要らない。条件付きで使える時代は、条件を満たしているかを、使う側が説明できなければならない。この処理で個人は特定されるか。この利用は、本人の利益を害さないと言い切れるか。誰かに聞かれたときに、答えられるか。

私はAIを毎日使うし、業務データを賢く使うことにも賛成だ。ただ、顧客の名前が入ったファイルをそのままAIに放り込むような使い方と、特定されない形に整えてから使う使い方のあいだには、これからは制度の上でも、はっきりした線が引かれる。そしてこの線は、高度な法律論ではない。Pマークの現場で叩き込まれた、あの地味な作法そのものだ。何のために使うのかを言葉にする。誰の情報が、どこへ行くのかを台帳で追えるようにしておく。言えないなら、触らない。二十年前から変わらない基本が、AI時代の最先端の要件として戻ってきた。

施行までの時間は、猶予ではなく準備期間だ

繰り返すが、施行はこれからだ。だから「まだ先の話」と置きたくなる。だが、課徴金という値札がつく前に、社内のAI利用のどこに個人情報が流れ込んでいるかを棚卸ししておくのと、値札がついてから慌てるのとでは、コストがまるで違う。やることは難しくない。誰が、どのAIに、何の情報を、何のために入れているか。一枚の表にする。特定される形のものは、匿名化するか、入れるのをやめる。それだけで、改正後の世界の大半には備えられる。

個人情報のルールは、「使うな」から「雑に使うな」へ変わっていく。これは規制が厳しくなった話でも、緩くなった話でもない。判断の責任が、禁止の壁の向こうから、使う人間の手元に戻ってきた話だ。壁は低くなった。そのぶん、越えた先の足元は、自分で確かめることになる。

アイキャッチ画像はAI生成です。

次の成長に向けて、いま整えるべきことを。

AI、EC、マーケティング、採用、数値管理。
構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。

まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。

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この記事を書いた人

法務・財務・内部統制・情報セキュリティの実務を経て、AI時代の企業支援へ。バックオフィスの現場で見てきたことを、そのまま書いています。

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