人手不足の地図は、二枚ある

私は転職を何度もしてきた。求人票を眺めて暮らした時期が、人生に何度かある。だからニュースで「有効求人倍率」という数字が流れるたび、少しだけ姿勢を正して聞いてしまう。直近の2026年5月分で、全国は1.17倍。求職者1人に対して求人が1.17件ある、という意味だ。数字の上では、探す側が選べる状態が続いている。だが求人票を眺めて暮らした身として言うと、この数字と探す実感は、いつもどこか合わなかった。今日は、その「合わなさ」の正体を、都道府県で割って確かめてみる。

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同じ県に、倍率が二つある

厚生労働省は毎月、この倍率を都道府県別に公表している。ここで最初のつまずきが待っている。都道府県別の表が、二枚あるのだ。一枚は「受理地別」。ハローワークが求人を受け付けた場所で数える。もう一枚は「就業地別」。実際に働く場所で数える。たかが集計の違いに聞こえる。ところがこの二枚、まるで別の国の地図になる。

2026年5月の受理地別で、全国最高は東京都の1.70倍。ところが同じ東京都を就業地別で見ると、1.05倍。全国平均の1.17倍を下回る。逆の現象が神奈川県で起きる。受理地別では0.83倍で全国最低。1倍を割り、求職者が余って見える。だが就業地別では1.02倍。求人と求職者は、ほぼ釣り合っている。

同じ県で、これだけ違う ── 受理地別と就業地別(2026年5月・季節調整値) 東京・受理地 1.70(全国最高) 東京・就業地 1.05 神奈川・受理地 0.83(全国最低) 神奈川・就業地 1.02 1.00倍(求人=求職者) 受理地別(求人を受け付けた場所で数える) 就業地別(実際に働く場所で数える) 出典:厚生労働省「一般職業紹介状況(令和8年5月分)」季節調整値

種を明かせば単純だ。東京には本社が集まっている。全国に支店や工場を持つ会社が、東京の本社でまとめて求人を出すと、その求人は勤務地がどこであれ「東京で受理された求人」として数えられる。東京の1.70倍には、地方で働く人の募集が大量に混ざっている。神奈川はその裏返しだ。県内の職場で働く求人が、都内の本社経由で出されると東京側に計上される。県内で暮らし、県内で職を探す人の目の前から、求人が統計上だけ消える。働く場所で数え直すと、消えた求人が戻ってきて1.02倍になる。同じ現実を数えているのに、どこで数えるかを変えただけで、日本一の人手不足県が平均以下になり、日本一の買い手市場が姿を消す。

働く場所で数えた、人手不足の地図

では、実感と合うほうの地図——就業地別で全国を並べてみる。最も高いのは福井県の1.74倍。求職者1人に求人が1.74件。企業側から見れば、応募者の取り合いだ。富山県の1.66倍が続き、北陸の高さが目立つ。一方、低いほうには大阪府の0.95倍、北海道の0.97倍が並ぶ。大都市圏ほど低い。人が集まる場所では働き手が確保しやすく、人が流出する地方では、事業はあるのに働き手がいない。「人手不足は地方の問題」と言葉では知っていても、倍率の並びで見ると、その勾配は思ったより急だ。

もうひとつ、この倍率は分数だということを忘れないでおきたい。分子が求人、分母が求職者。地方の高い倍率は、仕事が潤沢にあるという意味とは限らない。若い働き手が県の外へ出ていけば、分母が細る。求人の数が変わらなくても、倍率は上がっていく。福井の1.74倍という数字の裏には、企業の採用難という顔と、人が流れ出ていく地域の構造という顔が、二つ並んでいる。高い倍率を「雇用が好調」と読むか「働き手が残っていない」と読むかで、打つ手はまるで変わる。

働く場所で数えた有効求人倍率(就業地別・2026年5月・季節調整値) 福井県 1.74(最高) 富山県 1.66 愛知県 1.20 全国 1.17(平均) 東京都 1.05 和歌山県 1.04 神奈川県 1.02 北海道 0.97 大阪府 0.95(最低) 1.00倍 出典:厚生労働省「一般職業紹介状況(令和8年5月分)」季節調整値。一部の都道府県を抜粋。 受理地別では東京都1.70(最高)・神奈川県0.83(最低)と順位が入れ替わる。

もうひとつ、数え方の話を足しておく。この1.17倍という全国の数字は、パートを含んだ値だ。正社員に限った倍率は0.99倍。1倍を割る。「求職者1人に求人1.17件」の中身は、正社員の椅子が1人に1脚、行き渡らない水準で釣り合っている。私が求人票の前で感じていた「合わなさ」の正体は、ここにもあった。倍率は嘘をついていない。ただ、私が探していたものと、数えられていたものが、ずれていただけだ。

AIに聞く前に、確かめること

ここからが本題だ。AIに「東京の有効求人倍率は」と聞いてみるといい。多くの場合、どちらか一方の数字が、定義の断りなしに返ってくる。1.70倍と答えれば東京は日本一の人手不足に見えるし、1.05倍と答えれば平均以下に見える。どちらも公表された本物の数字で、どちらも嘘ではない。それでも、受け取る側の頭に描かれる地図は正反対になる。私はAIを毎日使うし、この記事の集計も裏取りもAIにやらせている。だからこそ、定義を確かめずに返ってきた一つの数字を、そのまま会議資料に貼る危うさが身に染みる。「東京は1.7倍だから中途採用は厳しい」と「東京は1.05倍だから狙いどきだ」。同じ月の同じ統計から、正反対の経営判断が導ける。

都道府県のデータには、今回のような「同じ名前で中身が違う数字」が思いのほか多い。人口には国勢調査の常住人口と住民基本台帳の登録人口があり、失業率と求人倍率は測っている場所からして違う。数字そのものは間違っていなくても、どの物差しの目盛りかを取り違えると、正反対の結論が出る。AIはその取り違えを、止めてくれるとは限らない。聞かれた通りに、滑らかに答えるだけだ。

だから、順番はこうだ。数字を見たら、まず定義を確かめる。誰が、どこで、何を数えたのか。それが分かって初めて、1.70と1.05という二つの数字は矛盾ではなく、東京という街の構造——本社がここに集まり、働く人が周りの県から通ってくる——を語り始める。二枚の地図は、どちらかが偽物なのではない。二枚重ねて、ようやく一枚の日本になる。次に「人手不足」という言葉を聞いたら、思い出してほしい。その地図は、どちらの一枚か、と。

アイキャッチ画像はAI生成です。

次の成長に向けて、いま整えるべきことを。

AI、EC、マーケティング、採用、数値管理。
構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。

まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。

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この記事を書いた人

法務・財務・内部統制・情報セキュリティの実務を経て、AI時代の企業支援へ。バックオフィスの現場で見てきたことを、そのまま書いています。

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