「それ、ハラスメントですか」にAIが答える日

以前の在籍先で、ハラスメント研修の裏方をしていた頃、いちばん多く受けた質問は、被害の訴えではなかった。管理職からの、「これって、ハラスメントになりますか」だった。飲みの誘いは。二回目の注意は。語尾のきつさは。彼らが欲しがっていたのは、セーフとアウトの線だった。線さえ分かれば、安心して振る舞える、と。当時の私は、その都度「場合によります」としか答えられず、相手をがっかりさせた。いま、彼らはもう私に聞かない。AIに聞けば、すぐ答えが返ってくるからだ。今日は、その「すぐ返ってくる答え」の話をする。

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AIは、線を引いてみせる

試しに、AIに聞いてみるといい。「部下を二回続けて注意したら、パワハラですか」。数秒で、整った答えが返ってくる。法律の定義に触れ、一般論としての目安を示し、注意の仕方の助言までついてくる。出来はいい。研修資料を書いていた身として言うが、そこらの解説記事より分かりやすい。管理職が廊下で私を捕まえて聞いていた時代より、確実に便利になった。「これって聞いていいのかな」とためらうような小さな不安を、誰にも知られず解消できる。それ自体は、良いことだ。

だが、この便利さには、静かな見落としが一つ埋まっている。AIの答えは、聞いた人の書いた文章だけから作られている、ということだ。

その判定は、片方の言い分でできている

ハラスメントは、行為の名前のリストでは決まらない。同じ「二回目の注意」でも、締切を破った部下への業務上の指導なのか、退職に追い込むための執拗な圧力なのかで、意味がまるで違う。それを分けるのは、間柄と、経緯と、頻度と、周囲の状況——ひとことで言えば文脈だ。そして、AIに質問を打ち込むとき、その文脈を書いているのは、質問した本人である。

「部下のミスを注意したら、翌日から口をきいてくれません。私のどこが悪いのでしょうか」。この書き方で聞けば、AIは注意した側に寄り添った答えを返す。同じ出来事を、注意された側が書けばこうなる。「皆の前で長時間叱責され、翌日から体が動かなくなりました」。AIは今度は、被害を受けた側に寄り添う。どちらの答えも、それぞれの入力に対しては誠実だ。だが二つの答えは、同じ出来事について、ほとんど正反対を向く。裁判所も、会社の調査も、必ず双方から話を聴くのは、片方の記述だけでは出来事の形が決まらないことを、長い経験で知っているからだ。AIへの相談には、その工程が構造的に存在しない。書いた人の世界の中だけで、判定が完結する。

欲しいのは判定ではなく、お墨付きだ

もう一段、奥がある。「それ、ハラスメントですか」と打ち込む人は、本当に中立の判定を求めているのか。廊下で私に聞いてきた管理職たちを思い出すと、彼らが欲しかったのは、線そのものではなかった。「あなたは大丈夫」という、お墨付きのほうだった。不安な人は、安心をくれる答えを探す。そしてAIは、質問の書き方に寄り添う道具だ。自分に有利に書けば、有利な答えが返る。無意識にでも、そうなる。欲しい答えが出るまで聞き方を変える、ということさえできてしまう。逆向きにも、同じ力は働く。苦しんでいる側が「私が我慢すれば済む話でしょうか」と自分を責める書き方で聞けば、鏡は「あなたにも改善できる点が」と返してくる。助けを求めるべき人が、画面の前で、もう一度自分を削る。この向きの取りこぼしのほうが、静かで、深い。

怖いのは、そうして手に入れた答えが、紙のように軽いまま、武器として使われる日だ。「AIに聞いたら、これはハラスメントに当たらないと言われました」。想像してほしい。この一言が、注意を受けた部下への反論に、あるいは会社の調査への抵抗に、持ち出される場面を。片方の言い分だけで作られた判定が、中立の顔をして会議室に現れる。AIの答えには出典めいた条文まで添えられているから、なおさら、もっともらしい。

聞いていいことと、預けてはいけないこと

誤解のないように言うと、私は、悩んだ人がAIに相談すること自体は、止めない。むしろ勧める場面もある。出来事を時系列に整理する。自分の感情と事実を分けて書き出す。会社の窓口や外部の相談先という選択肢を知る。深夜にひとりで抱え込むより、ずっといい。私自身、考えを整理する壁打ちに、AIを毎日使っている。そこまでは、AIの領分だ。

預けてはいけないのは、最後の一枚——「これはハラスメントか否か」の裁定だ。それは、双方の話を聴き、周囲に確かめ、文脈を復元した先にしか、本当は存在しない。AIが返してくる線は、線の形をした、あなたの作文の鏡像だ。鏡に向かって「私は正しいか」と聞けば、鏡はあなたの姿を映す。それは判定ではない。

「それ、ハラスメントですか」にAIが答える日は、もう来ている。答え自体は、今日も量産されている。だから、これから大事になるのは、答えの上手さではなく、受け取る側の一線だ。整理は任せる。裁定は預けない。そして、本当に苦しいときに向かうべき先は、画面の中の物分かりのいい鏡ではなく、あなたの話を、確かめる責任ごと引き受けてくれる人間のほうだ。

アイキャッチ画像はAI生成です。

次の成長に向けて、いま整えるべきことを。

AI、EC、マーケティング、採用、数値管理。
構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。

まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。

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この記事を書いた人

法務・財務・内部統制・情報セキュリティの実務を経て、AI時代の企業支援へ。バックオフィスの現場で見てきたことを、そのまま書いています。

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