市場調査の仕事をしていた頃、報告書の冒頭にはたいてい「平均」を置いた。平均年齢、平均年収、平均購入額。読み手が一番安心する数字だからだ。ところがあるとき、クライアントの担当者に言われた。「この平均の人って、実際にいるんですか」。いない、と答えるしかなかった。平均年収の人も、平均購入額の人も、サンプルの中に一人もいないことは珍しくない。あの一言から、私は平均という数字を、少し疑って見るようになった。
今日は、公開統計の読み方の基本として、この「平均」の扱いを取り上げる。道具はひとつだけ、中央値という数字だ。これを横に置くだけで、平均が語っていないことが見えてくる。
平均536万円、中央値410万円
厚生労働省の国民生活基礎調査によれば、日本の世帯の所得は、1世帯あたりの平均が536万円。ところが、全世帯を所得順に並べて真ん中に来る世帯——中央値は410万円だ。平均と中央値の差は126万円。そして、平均所得以下の世帯は、全体の61.9%にのぼる。平均を聞いて「自分は平均より下だ」と感じる人が多数派なのは、気のせいではない。六割が平均以下なのだから、平均以下が普通だ。
なぜこうなるか。所得には下限がある。ゼロより下にはいかない。だが上限はない。ごく少数の高所得世帯が、平均を上に引っ張る。一方、中央値は「何人いるか」しか見ないので、上の少数に引きずられない。所得、資産、売上、顧客単価——片側に長く裾が伸びる数字は、どれも同じ構造を持つ。平均は上に浮き、中央値は多数派の足元に残る。
平均が嘘をつくのではない。平均は、分布を語らない
誤解のないように書いておくと、平均は間違った数字ではない。合計を人数で割った、正確な値だ。問題は、平均が「どんな散らばり方をしているか」を一切語らないことにある。全員が536万円でも平均は536万円だし、半分がゼロで半分が1,072万円でも平均は536万円だ。同じ平均の裏に、まったく違う世界がある。
だから、平均を見たら、反射的に二つのものを探す癖をつけるといい。ひとつは中央値。真ん中の人はどこにいるか。もうひとつは、平均以下の割合。平均を超えているのは何割か。この二つが平均から大きく離れているなら、その数字の裏には、少数の大きな値が隠れている。企業の売上の「顧客平均単価」を見るとき、私はいつもこれをやる。平均単価が高いのに中央値が低い事業は、一握りの大口に支えられていて、その大口が抜けると平均が崩れる。平均だけ見ていると、この脆さが見えない。
賃金でも、同じことが起きている
所得だけの話ではない。厚生労働省の令和7年の賃金構造基本統計調査で、一般労働者の賃金は全国で月340.6千円、過去最高だった。この全国の値を上回る都道府県は、東京、神奈川、愛知、大阪の四つしかない。最も高い東京都は418.3千円だ。47のうち43の道府県が「全国平均以下」になる。平均は、東京という一つの大きな値に引き上げられていて、大半の県はその下に並ぶ。「平均賃金が過去最高」というニュースを聞いて、自分の地域の実感と合わないと感じる人が多いのは、ここでも平均が分布を語っていないからだ。
もう一つ、覚えておくと便利な数字がある。最頻値——最も多くの人がいる値だ。所得でも賃金でも、最頻値は中央値よりさらに下に来ることが多い。平均、中央値、最頻値の三つが、上からこの順に並んでいたら、その数字は右に長い裾を持っている。つまり、少数の大きな値が平均を引き上げている。三つが近ければ、分布は左右対称で、平均は多数派の姿をそれなりに表している。この並び順を見るだけで、平均をどこまで信じていいかの見当がつく。
平均の罠が出やすい場面は、だいたい決まっている。売上、所得、資産、顧客単価、滞在時間、アクセス数。どれも下限はゼロで、上限がない。逆に、平均が比較的よく効くのは、身長や体温のように、上にも下にも限りがある数字だ。自分がいま見ている数字が、どちらの種類かを考えるだけで、平均の扱いは慎重になる。
AIは、聞かれれば平均を返す
AIにデータを渡して「傾向を教えて」と頼むと、たいてい平均が返ってくる。平均は計算しやすく、説明しやすい。AIが怠けているのではなく、聞き方が平均を呼んでいる。「中央値も出して」「平均以下の割合も」と一言足すだけで、返ってくる景色は変わる。私は分析の下ごしらえをAIに任せているが、どの数字を出させるかは、こちらで決める。平均を出させて満足するか、分布を出させて疑うか。そこで、分析の質が分かれる。
市場調査の報告書で「平均の人はいるんですか」と聞かれたあの日から、私は平均の隣に、必ず中央値を置くようにした。数字が一つ増えるだけで、報告の説得力は目に見えて変わった。平均は、存在しない誰かの姿だ。中央値は、実在する真ん中の誰かの姿だ。公開統計を読むとき、どちらの姿を見ているのかを、一度だけ確かめてほしい。六割の人は、平均の下に立っている。
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