イラストレーターが怒っている。その怒りは正しいか

イラストレーターが怒っている。

SNSを開けば、AI生成画像への抗議が目に入る。「自分の絵柄を無断で学習された」「仕事が奪われる」「これは盗用だ」。声は大きく、感情は本物だ。その怒りを、私は軽く見るつもりはない。

ただ、正しいかどうかは別の話だ。


目次

怒りの中身を分解する

イラストレーターの怒りには、いくつかの異なる主張が混在している。整理しないまま議論すると、全部が正しいようにも、全部が間違いのようにも見える。

一つ目は「無断学習への抗議」だ。自分の作品をAIの学習データに使われたことへの怒り。これは感情として理解できる。ただ法的には現時点でグレーな部分が多く、国や地域によって解釈が異なる。日本では2019年の著作権法改正により、AIの学習目的での著作物利用は一定の条件下で認められている。この事実を知った上で怒るのと、知らずに怒るのとでは、議論の質が変わる。

二つ目は「仕事が奪われる」という危機感だ。これは正直な恐怖だと思う。ただ、仕事が変化することと、仕事が消えることは同じではない。印刷技術が登場したとき、写本職人の仕事は消えた。でも出版という産業が生まれ、より多くの人が文字に関わるようになった。AIが何をどう変えるかは、まだ誰にもわからない。

三つ目は「自分の絵柄が使われている」という個人的な侵害感だ。これが一番難しい。絵柄には著作権がない。これは法律の話だ。でも長年かけて培った個性が、一瞬で模倣される——その感覚は、法律とは別の次元にある。


保身と正義は、見分けにくい

怒っているクリエイターの全員が、純粋に正義のために声を上げているとは思っていない。

自分の仕事を守りたい。収入を守りたい。それは人間として当然の動機だ。でもその動機を「AIは悪だ」という倫理的な言葉で包むとき、議論は複雑になる。保身と正義を混在させた主張は、反論しにくい。反論すると「クリエイターの苦しみを理解していない」と言われる。

これは構造的な問題だ。AIに限らず、産業の変化に直面した人々は常にこのパターンをたどる。タクシー業界とUber、出版業界と電子書籍、レコード業界とストリーミング。既得権益を守る言葉は、常に正義の形をとる。

怒りが本物であることと、その怒りが正しいことは、別の話だ。


時代は、尊重しながら進まない

私の父は、映像の仕事をしていた。

子供の頃、真っ暗な部屋で父が作業しているのをよく見ていた。リールに巻かれたフィルムを、片目に嵌め込む拡大鏡で覗きながら、一コマずつ編集していた。地味な作業だったが、職人的な、崇高な時間だった。

デジタル化の波が来た。父もパソコンを導入し、Adobe Premiereを覚えた。努力はした。でも編集のスピード感が変わった。アナログとデジタルのカラーリングのズレに苦戦した。加齢と体力低下も重なった。結局、映像の仕事を続けることはできなかった。昨年、父は亡くなった。

父の仕事は崇高だった。その技術は本物だった。でも時代は、その崇高さを尊重しながら進んでくれなかった。技術革新に「待て」と言える人間は、どこにもいなかった。

イラストレーターの怒りを聞くとき、私はこの記憶を思い出す。怒りは正しい。苦しみは本物だ。それでも時代は進む。その両方が、同時に本当のことだ。


では、何が正しいのか

私が思う「正しい問い」はこうだ。AIによってクリエイターが不当に不利益を被っているなら、その不利益をどう補償するか。禁止ではなく、設計の話だ。

音楽の世界では、著作権管理団体が演奏使用料を徴収して作曲家に分配する仕組みがある。AI学習に使われた著作物に対して、似たような仕組みを作れないか。技術的には難しいが、不可能ではない。いくつかの国ではすでに議論が始まっている。

「AIを禁止せよ」という主張は、感情としては理解できるが、現実としては機能しない。技術は止まらない。止まった国が損をするだけだ。それより、新しい技術と共存するための制度を作る方が、クリエイターにとっても長期的には有利だと私は思う。

次回は、模倣と創造の話を書く。手塚治虫もビートルズも、最初は誰かの模倣だった——という話から始める。


株式会社スポルアップ CFO 加藤
AI・経営・数字まわりのことを、思ったことをそのまま書いています。

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この記事を書いた人

事業内容:EC支援・マーケティング支援・データ分析
代表は大手ECプラットフォームにおける実務経験を有し、役員は市場調査会社にてリサーチ業務に従事。実務とデータ分析の両面から企業の成長支援を行っています。

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